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アメリカに住み始めて数年が経ち、生活にも慣れ始め、アートも格闘もどうにかこうにかカタチになってきた頃。
ようやくして大きなチャンスが舞い込んできました!!
ロサンゼルスの地下格闘廻りをしていた時に(売り込みのため2週に1度のペースで練習⁉︎試合をしていた)アメリカンムエタイ協会のジムで定期的に交流試合があったのですが、そこで"私の試合を観た"というタイ人プロモーターから連絡がありました。
彼の話では、その年のカリフォルニア州最大のムエタイ興行を主催するので、君も出てみないか!と言った内容でした。
その頃の私は全日本キックボクシング連盟のプロライセンスを保持していたため、これがカリフォルニア州のプロムエタイライセンスにも適応されて、ビデオ審査のみですんなりとライセンス取得が出来ました。
今はどうか分かりませんが、カリフォルニア州ではMMAのプロライセンスよりもムエタイライセンスを獲る方が、何倍も難しかったので、本当にラッキーでした。
当時のアメリカでは全階級合わせて、プロMMA選手が1000人以上居ると言われていたのですが、(今はもっと多いはず)それに対し、プロムエタイ選手は全米で100人もいなかったそうです。
何故なら長い期間アマチュアムエタイ協会公式戦で、多くの実績を残さないとプロ昇格が出来ないといったシステムだったので、かなり狭き門だったのです。
そしてついに来たこのビッグイベント!!
メインは、タイから招聘された現役バリバリのチャンピオンに、日本から招聘されたムエタイ戦士“大和哲也選手“が挑戦するという注目の一戦でした。(大和選手はその後K-1やWBCの世界王者になり、今も第一線で活躍中)
そしてもう一人の日本人選手として、私がセミメインに抜擢され、北米王者と戦うことになりました。
アメリカでも腐らず練習をし、地道に売り込みをしてきた甲斐がありました。
この話が決まったのは約2ヶ月前だったので、減量期間も充分にあり、試合準備もしっかりととれるので、万全の状態でこの一戦に臨みました。
しかしながら、この試合前日にとんでもないことが起こるのでした。。。続きはまた次回。
海外でプロ選手になるには…パート4
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